父の命日に想うこと。
2024.08.17
暑い日々が続きますが、みなさまお変わりなくお過ごしでしょうか。
世間は夏休み、お盆と、いつもとちょっと違った空気が流れていますね。
私は相変わらず、日々の小さな営みを粛々と続けています。
次男が生まれてからますます慌ただしくなった毎日。一日一日を家族みんながどうか健やかに暮らせますようにと願って、奔走しています。夜はベッドに倒れ込むように寝て、授乳のたびに目を擦りながら、さっきの夢はどんなだっけ?と思い出そうとするのですが、なかなか思い出せなくなってしまいました。昨夜は、緑と黄色の変な色合いの蝶々がベランダからいきなり部屋に入ってきたかと思えば、だんだん姿を変えて、会ったこともないお婆さんの姿になって、そのお婆さんが腕をバタバタ振りながらまたベランダから外に出て行った・・・・という瞬間は覚えているのでが、その前後のストーリーが思い出せなくて、あの夢はなんだったんだ・・・?と、いつもそんな感じの奇妙な夢を見ていることは確か(笑)
さて、昨日は十三回目の父の命日でした。
お墓参りに行きたかったのですが、生後二ヶ月の赤ちゃんを連れて灼熱の京都の旅はちょっと自信がなかったので、時期をずらして行くことに。
そのかわり母の家に、娘三人、そしてそれぞれの旦那さんと子供たちが集まって、父のことを想いながら食事をしました。
2012年のこと、宝塚を退団して東京で仕事をはじめた私のもとに、着の身着のままのような状態で身を寄せ合った母と娘三人と犬一匹。そこから有難いことにそれぞれ色々な出逢いがあり、昨日集まった家族は総勢十二人。気がつけば五人の子供たちがワイワイギャーギャー戯れています。
お父さん。見てくれていますか?
孫たちがお仏壇の写真を見ながら、会ったことのないじぃじの話しを楽しそうにしていますよ。今年生まれた私の赤ちゃんは、ほっぺたのしもぶくれが、じぃじにそっくりですよ(笑)
人は必ず死ぬ時がやってきて、それがいつなのかは誰にもわからない。
毎年この時期になると、そのことを実感します。
子どもたちを眺めながら考えることは、この子たちの成長を私はいつまで見守れるのだろうかと。もしも突然自分がいなくなったとしても、どうか逞しく生きて行ってほしい。そのために自分は次の世代に何を残せるのだろうか。
そんなことを思い巡らせています。
(幼少時代の私と、父)
私の父は、生涯とことん正直に誠実に生きる姿を見せてくれました。
数ある思い出の中で、なぜか最近思い出すのは、宝塚在団中たまに帰ってくる私に、畑の作業場ですごい存在感で並んでいる大きな樽の中から、ペチャペチャこねくり回して掘り出したぬか漬けを手に「これを食べとけば元気でいられるんや、おすみ、今のうちにいっぱい食べとけ!」と、すごい量のぬか漬けを手渡してくれたことです。
その頃の私はぬか漬けに興味のかけらもなく、ただ「規格外の野菜をペチャペチャの樽の中にほうりこんだお漬物」だと思っていました。最近になって、ぬか漬けはいろいろな微生物が入り混じる日本の誇る発酵文化のひとつで、つくる人の皮膚に住む常在菌までもが深く関与していることを知りました。(いや、父が話していたかもしれないけど聞いていなかった)温度や塩加減、頻繁にかき混ぜたりと、注意深く扱わないといけないことも最近知りました(これもちゃんと聞いていなかった)。ぬか漬けだけではありませんが、つくる人、その家庭によって味が変わる食べ物とは、なんて神秘的なんだろうと。父の作るぬか漬けの味は、再現することもできないのだなぁ、もっとありがたく食べておけば良かったなぁ・・・と、今になって思います。
ぬか漬けに限ったことではありませんが、その時は当たり前と思っていたことが、ほんとうはとても有難いことで、とってもだいじな事だったんだと、この歳になって気づくことが多くあります。
私も、だいじだと思う事を、当たり前のように子どもたちに伝えられるようになりたいと思います。
そして明日は息子(長男)の誕生日。
家族でゆっくり家でご飯を食べて、一緒にケーキを作る予定です。
プレゼントは、一緒に体験した陶芸教室で作ったお皿を。
かたちを作って、焼いてもらって、そのうえに釉薬をかけるところまでチャレンジしました。ささやかですが、そんなささやかなことを存分に楽しんで味わえる家族でありたいと思います。
どんな5歳を過ごすのでしょうか。
健康でたくましい5歳になってくれたら嬉しいです。
すみ花