春の夜更けに。
2021.04.18
今は夜中の1時半。
いつもは倒れ込むように息子と一緒に寝て・・・いえ・・・正直に言うと実は私のほうが先に寝てしまうこともあり、先日携帯のカメラロールにいつのまにかムービーが残されていて、私のグースカ寝顔のアップが映ったかと思ったら( ブサイク過ぎて笑えました)、その後15分間 息子は一人で歌を唄い、独り言をしゃべり続け、16分後、一人で眠りについた様子が残っていました・・。(朝まで10時間以上撮影したままに・・) ムービーが撮れていたことも衝撃だったけれど、それよりも私が寝たあと息子はこんなに一人時間を楽しんでいたのかと、驚愕しました(笑)
まぁ、そんな日も多いのですが、今日は珍しく私が夜の一人時間を満喫しています。
「群像」5月号での初めてのエッセイ。
読んでくださったみなさま、ありがとうございました。
早速お手紙もいただいたりして、本当に嬉しく思っています。
いただいた中のあるお手紙に、私の文章について『「ここにも精一杯”生”を紡ごうとしている人がいる」と、読んでいる私の気持ちが穏やかになると同時に「私も一歩踏み出そう」と元気になるのです。』という言葉を綴ってくださった方がいらっしゃいました。
すごく励みになる言葉でした。
『生』は「生きる」「命」ということでもあるし「なま」とも読みますよね。
まさに私は、つたないけれど精一杯 “生” を紡ぎたいのだと、あらためて、自分の気持ちに気づきました。
人生で初めてのエッセイでは、与えられた『思い出の駅』というテーマの中で、「父と私」のことを多く綴っています。
ことあるごとに、この「ののがたり」でも父のことを書いていますが、この世からいなくなって、もう10年。思い出は美化されるとも言うけれど、もし美化されていたとしても、父のおかげで今の自分が形成されているのは紛れもない事実。
それを、書きたかった。
ひとつ、私の母が、どうしても気になるといった箇所がありました。
それは父の描写部分で『日に焼けたボロボロの帽子を脱いで、少ない髪を手早く櫛で整えた』という一節。
母「少ない髪っていうのはちょっと可哀想!!」
とのこと 。
「・・え??そこ!?!?」と、なかば笑い混じりで聞きかえしてしまったのですが、母にとってはその光景がありありと目に浮かんでしまったのかもしれません。。
父は目立ちたがり屋な部分もあり、自分のネタで誰かが笑ってくれれば大喜びする人だったので、きっと本人は気にしていないはず!むしろオイシイと思っているかもしれないよ!ということで落ち着きました(笑)
このエッセイを通して、母の父に対する想いもあらためて窺い知ることが出来て良かったです。
(講談社「群像」5月号の詳細はこちらです↓)
http://gunzo.kodansha.co.jp/58959/60027.html
それではこのあたりで。
「言葉の力」ってとても大きいと思うから、もっと大切に、もっとアグレッシブに、もっと優しく、文章を綴れるようになりたいなと思う今日この頃です。
写真は、築地にある朝日新聞本社の近くで、この時期に華やかに咲き乱れていた「フゲンゾウ」という桜です。近々みなさんにお知らせできることがありそうですので、お楽しみにしていてくださると嬉しいです。
すみ花