お盆が過ぎて。
2018.08.18
扉を開けると、新しい季節の始まりを感じるようになりました。
初々しい秋空に響く蝉の声は、なんだか寂しい。命の終わりを知っていると、悔いなく生きられるのでしょうか。
8月16日。
いつも寝る前に何気なく覗く窓からの景色。
その日は不思議なことに、京都の「五山の送り火」が見えたのでした。
そんなはずはなくて、見ているものは都会の高層ビルに灯される赤いランプに過ぎないのに。
京都はどんな景色だったでしょう。
ご先祖様たちは、無事に帰ることが出来たでしょうか。
父は、ご先祖様たちと一緒に、この日に天国へ向かいました。もう七年も前のこと。
あの日のことは鮮明に身と心に刻まれています。
私はなにも知らないままだった。
父はそれまで苦しみに耐え、心配させまいといつも明るい言葉をかけてくれていた。
家族も、東京で舞台に立つ私に一筋の不安も抱かせないようにと、控えめに、舞台が終わったら帰ってきてね。と。
それが舞台が終わらぬ間に、すべて終わってしまった。
父の僅かな入院期間も、死ぬ時も、お通夜も、お葬式も、私はそこにいなかった。
終演後、夜に東京から京都に帰って、家族みんな一つの部屋で寝て、翌朝一番に東京に戻った。その日の夢はとっても楽しかった。みんなで不思議なジェットコースターに乗って、いろんな景色を見てまわる夢。とても愉快だった。そのひとときが、最後の思い出。父は、いつまでも真っ白の布団の中で、にこやかに眠っていた。とても綺麗な笑顔だった。
あとでお葬式の写真を見せてもらったら、実家の二つの和室が繋がって、大層立派な式場に変身していた。その真ん中に飾られる父の遺影は、ついこの間家族が宝塚の私の家まできてくれて、お鍋をつついたあと、ソファにみんなで座ってセルフタイマーで集合写真を撮った時のものだった。それを父の部分だけだけくり抜いたものだから、少し画質が悪かったけど、父は私がプレゼントしたラルフローレンのポロシャツを着て、嬉しそうに笑っていた。
突然のお別れの式には大勢の方がいらしてくださったそうで、東京からであったり、宝塚歌劇団の関係者の方までが、あのど田舎に出向いてくださった。
そこに私はいなかった。
父が昔から言っていた言葉。
「舞台に立つ人間は、俳優というものは、親の死に目にも会えないものなんだ。お前はそういう仕事をしている。責任を持ってやりなさい。」
畑で泥だらけになって、日に焼けたピカピカの顔で溌剌と言うものだから、何を大層なことをと思っていたけれど、本当にそうなった。
あの時のことを、毎年この時期になると、思い出すのです。
でも今、父はいつもすぐそこにいて、私たち家族を導いてくれている気がします。はっきりとそう思います。
私に夫という立場の人ができたことで、一番怖いことは、いつかはどちらかが先に死ぬこと。できることならば、ロミオとジュリエットのように、曽根崎心中のように、一緒に死にたい。
いやいや、そんなことができるのは物語の中だけ。
「死ぬ」ことはやっぱり怖い。
いつ死んでも良い準備ができていないから怖いのかな。
地球で生きることは、けっこう凄いことだ。
そんな結論に至りました。
平成最後の夏に。
sumika