Nonogatari

フィリップ・グラス。

2016.06.08

 

『フィリップ・グラス、11年ぶりの来日!』

と、新聞広告で大きな記事を目にしたけれど、恥ずかしながら、存じ上げない。
でも、きっと自分にとって大きなチャンスかもしれないと、直感をたよりに、何の情報も仕入れないままコンサートホールへ。

 

 

結果。最高。

 

今回のコンサートはフィリッップ・グラスの作曲した全20曲のピアノエチュードを、ご本人、そしてピアニストの滑川真希さんと作曲家の久石譲さんの3人で弾ききるというもの。一人の作曲家の作品を同じ一台のピアノで演奏するのにも関わらず、三人三様まったく異なる音色が聴こえて来るということにまず衝撃を受けた。

フィリッップ・グラスは、深い森に降りそそぐ雨のような。

滑川真希さんは、生命に満ちた木の葉が風を舞っているような。

久石譲さんは、川面をすべる美しい水鳥のような。

そんな音を感じた。

 

唯一、久石譲さんの音楽はよく知っていて、自分の音楽のプレイリストには沢山入っているのだけれど、ご本人が演奏される場面を実際に拝見したのは初めて。椅子に腰掛けてから、演奏を始めるまで、しばらく時間がある。心をぐっと深い場所にまとめているように感じた。そして、指の腹を太ももにポンっと打ちつけてから鍵盤へ運ぶ。まるで魔法の儀式のようだった。鍵盤の上での指の動きの美しさには見惚れてしまう。そしてとても興味深かったのは、曲によって完成度が違うこと。危うい箇所が出て来ると、その時のご本人の心情なんかがすべてこちらに伝わって来る。人間味を感じられて、あぁ、この人はやっっぱり心で曲を奏でているのだなと、はじめて、天才作曲家としてではなく、一人の人間として見ることが出来て、ますます久石さんが好きになった。

 

滑川真希さんの演奏。彼女は会場の空気や空間にとても敏感で、目には見えないところへ向かって音を自由自在に飛ばせる人だと感じた。ひとつひとつの音がとても鮮やかで、彼女が操っているのだけれど、音がひとりでに踊り出しているようにも聴こえて、とても楽しかった。音には無限の可能性があるのだと教わった。滑川さん演奏バージョンのこのコンサートのCDを胸に抱いて帰り、今も私の部屋いっぱいに響かせて聴いている。とうぶん、飽きないと思う。

 

実は私は、ピアノの音楽を聴くと頭の中に五線譜があらわれて、そこに音符を書き出してしまうという、とても厄介な癖があって、なかなか素直に音楽を楽しむことが出来なかったのだけれど、このコンサートに浸っているうちに、自然とそれが消え、素直に楽しめるようになっていた。とても嬉しかった。

 

そしてフィリッップ・グラス。とても美しかったけれど混沌として薄い霧に包まれているような演奏だった。なぜだろうと疑問が残ったところでコンサートが終了。

 

その後のアフタートークでいろいろな疑問が解決された。
彼は全20曲のうち自分で演奏できるのは数曲しかないと言って会場を笑わせていて、自分ではない演奏家の解釈で演奏してもらうことを、生きているうちに見ておきたかったし、それを楽しみにしているのだと。
そして久石さんは最近は指揮や作曲活動が多く、人の曲を演奏する機会がなかったので、このコンサートに向けて学生時代に戻ったかのように練習を重ねたと仰っていた。
滑川さんは海外で長く演奏していて、久しぶりに日本での演奏。日本の湿気の中で音はどんなふうに届くのか、日本人の聴衆の集中の仕方はどんなものなのかということがとても楽しみだったと。

こうして演奏後にご本人達の想いを聞かせてもらえることは、とても貴重だし、自分が抱いた感想と照らし合わせてお話しを伺えるので、とてもワクワクした時間だった。

 

偶然席が隣だった宮本亜門さんと、『愛の唄を歌おう』という舞台でお世話になって以来久しぶりに再会し、休憩のあいだ沢山お話しができたのも嬉しかった。しきりに、なんで?なんでここにいるの?フィリッップグラスが好きなの?と驚かれ、気になったからふらっと来てみただけです。と答えると、ますます驚いて、へぇ〜面白いねぇと亜門さんはニヤニヤしておられた。

 

偶然の再会も、偶然発見した新聞広告も、偶然休みがとれたことも。
すべて私を幸せな気分にしてくれた。

 

結果。最高。

 

 

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『THE COMPLETE ETUDES』
  すみだトリフォニーホールにて。

 

 

 

 

sumika nono