Nonogatari

暮らすような旅がしてみたかった。

2024.04.15

 

少し前のことになりますが、「日常じゃない場所へ旅がしたい」という気持ちがふつふつと湧いて来た時のお話しです。

私は宿調べが大好きなので全国各地のいつか訪れてみたいお宿をリストアップして、それだけでウキウキ楽しんでいるタイプ。そのリストをあらためて眺めてみましたが、“都会の喧騒から離れて非日常を味わいリラックスできる、ご褒美のような場所”という共通点があるものの、今の私にはなんだかしっくり来ない。
自分は今何を求めているんだろう・・・と考えてみた時に、“いつかこんなふうに暮らしてみたい、生活してみたい”と思う場所にとても興味があることに気づきました。

そこでたまたま知ることができたワクワクする場所へ、向かいました。

 

 

広大な敷地の中に芸術家の作品が佇んでいたり、厳選された本が並ぶ図書館があったり、レストランやカフェ、ショップなど現代的な要素は沢山ありながらも、畑があり、牛がいて、羊がいて、鶏がいて、その場所のさまざまな分野で働く人がいて、敷地内の自然環境で色々な循環ができる仕組みがある、とても素敵な場所です。

 

 

ここに一泊させてもらい、畑の野菜を収穫して自分達で料理をして、夜から朝を迎えるという、ほんの少しの時間ですが、暮らすような旅が実現したのです。

 

 

ブロッコリーがどんなふうに育っているのか、初めて知った息子。

 

 

こんなに間近で水牛を見つめて。

 

 

息子にとって、普段食卓に並んでいる食材がどんなふうに育ち、どんな道を辿って来たのかを少しでも知れる機会になったと思います。私が子どもの頃は、当たり前に畑での風景があり、不便で手間のかかる作業を春夏秋冬、雨の日も嵐の日も、一日も休まずに黙々と続ける大人たちの姿がありました。手間暇をかけて育て上げられる野菜の姿があって、命を分け与えてくれる動物の姿があって、それを食卓で大切に口にする毎日の暮らしが、やっぱり私の根底にあります。いっぽう、都会で何不自由なく美味しい食材が手に入り、当たり前にご飯を食べることができ、気に入らなければ残す・・・という小さい男の子の姿に、これまで寂しさや虚しさを感じたこともありました。父が生きていたら、おじいちゃんとして孫にどんなことを伝えてくれるだろうかと考えることもあります。大切な畑をどんな風に案内してくれるだろう。きっとニッコニコの笑顔で、熱くなりすぎておしゃべりが止まらないんじゃないかと想像したり(笑)

そんなことを常々考えながらも、日々の生活で精一杯の私には家庭菜園もほど遠く、自然あふれる環境に息子と向かうこともままならずの状態でしたが、こうした機会を得られて本当に良かったなと思っています。

 

 

さて。
自分達が食べられるぶんだけの野菜を吟味して収穫させてもらったところで、キッチンでお料理を開始します。

 

 

私が何より楽しみにしていたのは、このキッチンでお料理をすること!

 

木の温もりがあって、自然光が差し込んで、窓から風が通って、綺麗に収納されすぎていなくて、手を伸ばせばすっと届く道具類に囲まれて・・・そんな味わいのあるキッチン。ここに立っているだけで、どんどん自分が癒されていくのがわかりました。
嬉しかったなぁ。楽しかったなぁ。自宅で使っている道具や調味料と同じものがあったりすると静かにムヒムヒしたり、これ、使ってみたかったの!という道具が沢山あったり。思いっきり堪能しました。

お米や卵も自由に使わせてもらい、また地元のハンターさんたちが獲った猪や鹿のジビエはとても新鮮なまま加工されるので全く臭みもなく、猪はお鍋にしたり、鹿は薪の火で調理していただくことができました。水牛の出来立てモッツァレラも最高だった・・・。

 

 

 

 

朝は、前日に使わなかった野菜をサラダにしたりお味噌汁にしたり、いつもと変わらないような簡単な食事を作りました。だけど心が幸せで、幸せで。

 

季節が変わってしまったくらい前のお話を、ようやくこうしてののがたりに書き残すことができたわけですが、今思い出してもやっぱり心が満たされます。

私には今特別な趣味もないし、家事やお料理や子どもとの毎日を必死でこなす要領の悪いお母さんをやっていますが、この旅がこんなにも心に残ることになったのは、やっぱり、食べることや生きることそのものに、関心が深いのかもしれません。

 

 


 

最近、息子はお料理に興味を持ち、一緒にキッチンに立つ機会が増えました。
得意料理はキャロットラペで、調味料はアガベシロップ・マスタード・クミン・ホワイトビネガー・オリーブオイル・レーズンを混ぜ合わせて使うのですが、一丁前に手の甲に少し垂らしてペロッと味見をしながら少しずつ調節をして、うまい具合に味を決めてきます(笑)
最初は私が作っているのをじっと見て覚えたのですが、次第に食材をアレンジしてトマトで作ってみたり、きゅうりには和風の味付けを試してみたり、私がえっ!?と驚く味付けをしてみたり、でも最終的には美味しい一品に仕上げる執念深さと柔らかい発想力を感じます。

こうした風景をインスタグラムに載せてみたりしているのですが、ある時、お顔を存じ上げない方からたった一言「英才教育ですか?」とダイレクトメッセージが届きました。
英才教育の定義が私にはよくわからないのですが、なんだかその一言にひっかかってしまうのは私が捻くれているからでしょうか(笑)?

 

何をどんなふうに食べるか。
私は本当に大事なことだと思っています。
我が家には炊飯器もなく、主婦の味方の電気調理鍋もなく、お味噌汁のお出汁などは鰹節を削るところから始まります。電化製品をただ単純にうまく使いこなせなかったからという理由も大きいのですが(笑)、少し不便に感じるような作業も慣れてしまえば心地良く、自分の手で、目で見ながら、感触を確かめながら進めて行く作業は、お料理にとどまらず他のことにも繋がっているように感じます。
真剣に私が取り組んでいると、その姿を近くで息子が見てくれていますし、息子にとってもそれが当たり前の風景となり、食べることに少しずつ向き合えるようになってきました。
先日、普段あまり使わない中濃ソースを食卓に出してみた時、少しペロっとなめた息子が「裏面表示の原材料のところ、読んでくれる?これ何が入ってるの?」と。
「りんご、柿、人参、トマト・・・」と私がゆっくり読み上げて行くと、いちいち「へぇ〜!!」と声を上げて驚く姿はとても微笑ましく、それだけで私たち親子は盛り上がります。私は、そういうささやかなことを大切にしたいだけなのです。

 

 

食べることは楽しい。
食べることは生きること。

少しでもそんなふうに息子にも感じてもらえたら嬉しいし、私も大切にしていきたいなと、あらためて感じた今回の旅でした。

 

Sumika