Nonogatari

ある出来事。

2017.03.02

 

電車の中。私は隅の席でひとり黙って本を読んでいる。
いきなり、一人の男が目の前に現れた。そしてポケットからおもむろに何かを取り出した。———-警察手帳だ。ドラマでよく見る「警察だ。」と言ってパカっと見せるあれ。金色のギラギラしたものが重そうに張り付いているし、本人の顔写真もある。そんなものをこちらに向けられた経験なんて今までない。一瞬にして、心臓が凍りつく。男は私服警官らしく、黒いシャツとズボンを履いているが、中に防弾チョッキでも装着しているのか、どことなく身体がボコボコしている。寒気がしてきた。ただ寒いのではない。気色悪い吐きそうな寒気だ。私が何かしたか。

その警官、次にトランシーバーで隣の車両の警官と何か話し始めた。どこかの交番の名前をあげ、そこに部隊を送り込むように要請をしている。詳しいことは聞き取れない。いや、その車両に乗っている人全員に聞こえるような声ではあったのだけれど、こちらは心臓が凍りついているものだから、うまく言葉が耳に入ってこないのだ。

隣の車両の警官との通信が終わると、次はうろうろと歩きながら、反対側の車両にいる警官であろう人物とアイコンタクトを取り始めた。これは3両がかりの逮捕劇か。ただ事ではない。私の凍った心臓が口から出そうだ。警官が私を見る。なぜだ。何もした覚えはない。いつもと変わったことといえば、誕生日に友人からもらった黒いショルダーバックを大事に抱えているだけだ。爆弾なんて入れてない。周りの人の反応は?誰も彼を見ていない。あ、そうか、私は驚きすぎて警官を凝視しているから目が合うのか。本の続きを読もう。ダメだ。顔は本に向いているけど、目は警官を追っている。ダメだ、ダメだ。困ったぞ。そんなことを考えているうちに電車は駅に到着した。ここで私は降りる。早く扉よ開いておくれ。ダッシュで逃れよう。さっとホームへ降りようとすると、なんと警官も一緒になって降りるではないか!あぁもうダメだ。

・・・・・と思った瞬間、男は走り去って行った。瞬く間に姿を消したのだ。

なんだったのか。

腰が抜けそうになりながらも呆然と立ち尽くしていると、近くに座っていた女性に声をかけられた。

「恐ろしいわね。」

「はい、びっくりしました・・・」

「だいいち本物の警官かどうかもわからないしね」

「あ・・・確かに。」

「少し距離をとって歩きましょう。

  あなた若いんだから、狙われたりしたら大変よ。」

私はその見ず知らずの女性の後ろをぴったりとくっついて歩いた。
改札口に着くと、お互いそっと会釈して、別れた。

私の心臓はしだいに息を吹き返してきた。

この親切な女性がいなかったらどうなっていたことか。

たった今目の前で信じ難いことが起こったけれども、他人を気遣ってくださるその女性の残像や余韻が、私の心を満たしている。強く逞しく、美しかった。

 

ひとくちに「人間」といえども、いろいろな人が共存している。

自分には、それを受けとめ認める強さがあるか。

しなやかに生きてゆく逞しさがあるか。

人の気持ちに寄り添える美しさがあるか。

 

まだまだ。まだまだ。

一生勉強。

 

 

すみ花